2 牛若丸の井戸
 紫竹(しちく)一帯が区画整理されたのは大正から昭和にかけて。

 当時は十二間道路と言う通り名で呼ばれ畑の中をひたすら走った道も、今は北山通りと名前を変え、ブティックやレストランの並ぶ洒落た通りに変身した。
 



 まだ一帯が萩野と呼ばれ、咲き乱れる萩の花が一帯を紫に染めていた平安の末ごろ。
 この辺りに源義朝の別邸があり、牛若丸の生母常盤御前が住まいしていたとされ、付近には牛若丸ゆかりの遺跡が結構残っている。
 
 
 北山通り大宮を少し西に入った日蓮宗常徳寺には、常盤御前が牛若丸の安産を祈念したと伝わる常盤地蔵が伝わっている。

 
 じつは常盤地蔵はもう一体、旧上野街道の光念寺にもある。
 こちらの地蔵さんは、紫竹牛若町の牛若産湯井のほとりに祀られていたのをお移ししたという。

 牛若町の井戸は区画整理で無くなり、牛若産湯井の跡を示す碑があるだけだが、こことは別に旧街道北山下るの畑の一隅に牛若の胞衣塚と井戸が現存している。こちらは応永の年号の入った碑が建っているが、いつまで残せるものやら。
 

 
 いずれが誠か定かではないが、散策のおりに一度訪ねてみられる事をお勧めする。   TY

 

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