
「座頭市」を観て来ました。
とにかく
北野武、ベネチア監督賞受賞おめでとう!!!
からね。
今作は、北野監督の立案ではなく、持込の企画だったそうで、そのため正直、すべてが今までの北野映画と違って見えた。いや、同じところもいっぱいあるんだ。と言うか、色は同じなんだ。けど、根本的な手法を「普通の映画」らしく撮っている。
クレーン、レールの多用。
カメラが俯瞰からゆっくり下りてくるなんて、あまりなかった。
音楽がいつもの久石譲から、鈴木慶一へ。
これは、意外!必ずしもおしどりと思ってはないけど、それでもジブリ=とも言えるし、同じように北野=でもあったわけで、そこを鈴木慶一に変えたのは、この映画的には英断だったとは思うけど、意外だった。
「時代劇」を撮ると言うのは気合がいるのだろうか。
今回の北野監督の言葉では、結構「いままでのようにチャンバラにしない」とか「座頭市を金髪にした」とか撮る前から好戦的な事をずっと言っていて、しかし完成品ではいかにもな「時代劇」をすばらしい絵で撮りあげていると感じた。
殺陣がないのだ。
一瞬で勝負が決まる。
刀をちゃんちゃんばらばらまじあわせないのだ。
そうなるべき理由を随所に見せている。
冒頭で、勢い余って刀を抜く時に隣の仲間を切ってしまうとか、天井に刺さった太刀が重みで落ちて、下にいたヤツに刺さって死ぬとか。
つまり、剥き身の刀は、そのものが最大の凶器ということをしっかり見せているである。
また、侍の戦いは、太刀1本ではないのだ。
脇差という小刀を、常に太刀と携帯していて、状況に応じて、それぞれをうまく使い別けているのである。というか、使い分けられるヤツが生き延びられるというセオリーを見せられたような感じである。
だから、浅野演じる用心棒の刀の使い方は、すばらしく巧みなのだ。
今までの北野映画と同じところ。それはたけし軍団の列挙と、武組のカメオである。
それに、すばらしい「間」の演出。
コントとも、ギャグともつかない、しかし映画の1シーン、という、これはコメディアンでもある北野武独特の演出だと思う。ある意味それを見たいがために観に行ってると言っても過言ではない。
そして今回は、「音」にも重要なファクターを用意しているようで、何度か百姓が、サントラに併せて音を出しているシーンを見せている。小気味よい鍬の音。雨の音。そして最後の秋祭りの音。
すべてが「時代劇」という世界での演出で、全くの違和感を感じなかった。
最後に、パンフがすばらしい出来で、表紙のタイトルが蓄光素材を使って書かれていて、写真も多く、内容も充実した一冊に仕上がっている。
少し早いですが、秋の超大作ということで。
9/7/2003