「バーチャル寺院IN京都」
♪ おいでやす。
小坊主です。
【南峰獨立幾千年 松柏為隣銀漢前】 「性霊集」より
南峰に独り立って幾千年ぞ、
松柏を隣とす、銀漢の前。
南峰は高野山のこと、銀漢は銀河・天の川をさす。
「高野山の峰に独り立っていると、松や柏の木々に
囲まれ、夜空の天の川は眼前に美しく輝いている、
ひょっとすると、自分もこれらの自然とともに、幾千
年も一緒に経て来た様な気持ちになってしまう。」
宇宙という自然の内に仏教を見いだした空海の
一節の句です。
経済成長の名の下に繰り返されている自然破
壊、今私たちが一番守らなければならない物は
何なのか、考え直すのが二十一世紀の課題です。
【心暗即所遭悉禍 眼明則触途皆寶】 「性霊集」より
「心暗きときは則ち遭う所悉く禍なり、
眼明るきときは途に触れて皆寶なり。」
心が狭く物の道理に暗い時は、自分が出会う所総てが
禍となる。しかし物の道理に明るい眼を持っていれば、
道で行き会う総ての事が皆宝となる。
経済沈滞ムードに押されてる日本、物が売れない、失業
と嘆くより私たちが真に必要としている物はなになのか。
己の能力のなにが社会に役立つのか。私たちも企業も
今もう一度、考え直す年でありそうな。
【如夢如泡電影賓 歌堂舞閣野狐里】 「性霊集」より
「夢の如く泡の如し、電影の賓。
歌堂舞閣は野狐の里。」
電影とは稲妻、賓とは大切なお客の意、電影の賓とは、仮の世此の世に生を与えられた私達の事。
歌堂舞閣とは、栄華の贅沢を尽くした歌や舞の宴と其の殿堂。野狐の里とは、野狐が住むほどに荒れ
果てた様。栄枯盛衰・諸行無常のことわりを表した詩文の一節である。
近世の経済発展には誠に驚くばかりであるが、今日の経済沈滞ムードに押されてる日本、あのバブル
期を夢見ているだけでは何ら解決策がなかろう。今私達には何が真に必要としているのか、私たちも
政府も企業も今もう一度、考え直す年でありそうな。
【衆生心清浄則見佛】 辯顕密二教論より
「衆生の心清浄なるときは則ち佛を見」
自らの心が晴れ、清らかに光り輝いている時には我が心に仏を
宿すことが出来る。しかし一方、「もし心不浄なるときは則 ち佛を
見ず。」と続く。
昨今悲惨な事件が多発しているが、御大師様は「衆生の心」と
断定しておられる。加害者だけの問題ではなく私たち日本人すべて
の心が少し曇っている。日本社会が曇っているのだと。
【物之興廃必由人 人之昇沈定在道】
物の興廃(こうはい)は、必ず人に由(よ)る。
人の昇沈(しょうちん)は、定めて道に在り。
物の栄えるか衰えるかは、それに関わる人たちの人柄、能力、智恵、努力によるものである。
また人の成功・失敗や浮き沈みは、その人が、人の歩むべき道を踏んでいるか、踏み外した
かで決まるものである。
弘法大師作 「性霊集」より一句
【桃李雖珍不耐寒 豈如柑橘遭霜美】
桃李(とうり)は珍なりと雖(いえど)も、寒に耐えず。
豈(あ)に柑橘の霜に遭いて、美なるに如(しか)んや。
「桃や李(すもも)の美味しさは珍重すべきものであるが、寒さには耐えられない。
しかし柑橘は霜に遭えば益々美味しくなる。
「やはりミカンにはかなわない。」とミカンの類を褒め称えた句である。
この様に人にはそれぞれ特徴があるが、やはり人生逆境に耐えてきた人こそ、
一段と味わいのある人格を持ち備えた人物である。苦労は買ってでも・・・・・
弘法大師作 「性霊集」より一句
【物之興廃必由人 人之昇沈定在道】 性霊集(しょうりょうしゅう)より
「物の興廃は必ず人に由る」 「人の昇沈は、定めて道にあり」
物事が盛んになるか、衰えるかは、それに従事する人による。
人の成功や失敗はその人の歩む道に係っている。
人の歩むべき道の大切さを教えんが為に、お大師様は我が国最古の大学
「綜芸種智院」(しゅげいしゅちん)を開かれた。
この1年間、国を駄目にした人、会社を駄目にした人、はては個人破産まで・・・・。
来年こそ、私たち1人1人が自分の歩むべき「正しい道」を歩んで頂きたい、
それがたとえ亀の如く遅い歩みであっても。
それが皆の幸せに向かうのだから。 合 掌
【眼明則触途皆宝】
「眼(まなこ)明らかなるときは、途(みち)に触れて皆宝(みなたから)なり。」
物の道理に明るい眼を持っていれば,道で行き会う全ての物が、みな宝となって,
その価値が発揮される。
本年も,心の眼を開けて,価値ある年でありますよう、精進いたしたいと考えております。
合 掌 弘法大師作 「性霊集」より一句