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| みなさんこんにちは、今回からWEB版として掲載することになりました第1号のコラムです。 いきなりのタイトルで何だ?このサイトは顔見知りしか見れないのか?と・・・ そんな事はございません。(^.^)先月のお花見例会(円山公園)の帰りに祇園をふらっと歩いていましたところ、ずらっと建ち並んでいるお茶屋を目にして観光客の方だと思うのですが、「いいよねー地元京都に人はこんなところでいつでも飲めて、僕たちよそ者だから・・一見さんお断りだもんね!」とぽつりつぶやいてるのを聞きてしまいました。 ムム・・こんな閉鎖的なシステムはいつから始まったのだろう?時代にそぐわないのでは? と思い、家に帰って本棚をあさってみるとそれらしきものが記載されてましたので一度ご紹介しておきます。 |
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【一見さんお断り】システムはそもそも京都が都会(ミヤコ)だったからであり、ミヤコは今も昔も有象無象の人が集まります。
ミヤコに対するイナカ、イナカという言葉に反発を感じる人は別にヒナでもチホーでも呼び名は何でも構いませんが、そこの住民であるというだけで地域に受け入れられる事が充分にその人間の保証となりますが、ミヤコではそうはいきません。 「ただそこに住んでいるから」だけではその人がどんな人物か判断できない為ミヤコの住人は【一見さんお断り】にしてミヤコの中にイナカを作って安心できる団欒を求め始めたのが発端であります。 |
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| これは京都に限らず、世界中のミヤコでもありうることです。例外は東京やLA、NYといった民主主義以降にできたミヤコは民主的で確固たる判断基準を人々が求めた為有名人、容姿端麗、高学歴、高収入的な集団による団欒が営まれるようになりました。しかし京都やパリ、ロンドンの【一見さんお断り】に出入りする客はいわゆるVIPルーム巣くうイナカっぽい特権階級とは種類がちがう、いわば本物のイナカ者の集まりで県人会とか同窓会とか「若い根っこの会」のノリに近いです。 | ![]() |
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| さて、それでは人格を保証する基準とはどんなものでしょうか?顔、目つき、家柄、お勤め先、バブル以降政治家、官僚すら信用できない世の中で何で判断されますか?おそらくこの2つの方法しかありません。 出会った瞬間に好き嫌いという生理的な判断、つまり勘であります。そしてもうひとつは信用できる人物による紹介というスタイルであります。曖昧で釈然としない方法ですが最も合理的で機能的なシステムになったのがこの【一見さんお断り】システムであります。 |
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本来【一見さんお断り】は京都ならではの、京都人が大切にしている人間同士の距離感に基づいて産まれました。【一見さんお断り】は一見さん(1回きりの来店)でなければお断りしない、という事で拒絶ではないのです。お馴染みさんでも最初は一見さんであってその店でくつろげるとか楽しいとか「この店が好き」となり、後はお店とお客の駆け引きでそれは男女の恋愛、擬似恋愛といっても差し支えない【一見さんお断り】の店とは金銭のやりとりで一晩を過ごす場所でなく、店に惚れたら、自分から店に沿う気持ちで付き合い、そして沿うたら添い遂げることであると・・・ |
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| 産まれも育ちも西陣の私にはなんとなくわかるような気がしますが、ある意味他府県の方が読まれるとちょっと・・・と思われるかもしれません。これも勝手な気侭な瓦版 しばしお許しくださいませ。 (田村) |
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参照『やっぱり京都人だけが知っている』 入江敦彦 著 |
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