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宮津藩主本庄家について  

浄土宗願王殿大頂寺


本庄家と御霊屋

本庄家と大項寺の縁は、江戸時代中期、宝暦9年(1759年)、本庄資昌公が、遠州浜松から国替により 丹後の国、国主として宮津城へ入城した際、代々城主、の菩提寺とされる大頂寺客殿内に本庄家御霊屋を造り、 遠祖桂昌院様の念持仏はじめ、本庄家歴代の御位牌を安置したことに始まる。
本庄家は、遠祖を徳川三代将軍家光公の側室、五代将軍綱吉公の御生母、桂昌院と仰ぎ、 徳川家とは姻戚関係にあたる家柄である。そのため、御霊屋は日光東照宮を小さくしたような形に造られ、 中央に祀る桂昌院の御位牌は、四方に鳥居を配した神道系の御輿型の宮殿になっており、 その両側に、仏教形式の御厨子に入った、本庄家歴代城主の御位牌を祀る。
桂昌院の御位牌の前には、江戸城大奥に於て、桂昌院が朝夕に御念仏を唱えておられた念持仏(信仰仏) をお祀りしている。この、高さ30p程の御厨子は、朱の漆塗りで、扉には葵の御紋が掘り込まれており、 極彩色の阿弥陀如来を安置している。
これは桂昌院様亡き後、本庄家が譲り受けられたもので、 本庄家より大頂寺がお預かりし、お祀りしているものである。
本庄家御霊屋の外部構造形式は、切妻正面下屋出、間口2間半(4.9m)、奥行き5間半(10.9m)である。
内部は、外陣・内陣・内々陣に分かれ、内陣・内々陣の天井は格天井、床は板敷とし、欄間・桟唐戸・虹梁・木鼻等には、 細密優美な彫刻を施し、これらの総て、建具類に至るまで、黒漆あるいは金箔漆で仕上げられ、 実に荘厳である。
この御霊屋全体が、本庄家にとっての御仏檀(拝殿)となっており、貴重な文化財として、昭和60年1月、 宮津市の文化財指定を受けている。


徳川歴代将軍家御位牌堂

大項寺の御霊屋は、本堂とは別棟の館を建ててはいるが、そのお霊屋とは別に、本堂北側に、 東照大権現宮と刻まれた徳川家康公の御位牌はじめ、六代将軍家宣公までの御位牌をお祀りした一室がある。 本庄家御霊屋の漆塗りとは違い、木地のままであるが、欄間の透かしに葵の御紋が刻まれ、京極家による本堂建立の際、 将軍家御霊屋として建立されたものである。
本庄家御霊屋の項でも述べるとおり、宮津藩主本庄家は、三代将軍家光公の御側室、五代将軍綱吉公の御生母である、 桂昌院殿一位尼公の御生家であるところから、本庄家の菩提寺である大頂寺にも、将軍家の御位牌が安置されるものである。





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